激しく今更。だけどいいんだよ!俺は先週読み終わったんだよ!
なんかもう中盤以降は完全にラブコメなってたね。もちろんオタ要素はふんだんに盛り込まれてるわけだけど、描写のプライオリティを一段階落とされたっていうか舞台装置になりさがった。
オタネタ主体のストーリーマンガってすごく描きにくいだろうし、元々大学のオタクサークル内の話だからそういう扱いになるんだろう。
そういったある種の転換(したと俺が思ってるだけかも)もある意味面白いと思うけど、げんしけんの一番インタレスティング(敢えてこの言葉を用いる)なポイントは描写の不徹底とそれに起因する不完全なパーソナリティにあると感じた。
わかりやすい例を挙げるなら、斑目の秘めたる想い。これが読者にはっきり示されるのは3巻14話「インナースペース」なんだけど、はっきり言って「はっきり」なんかじゃない。
「ある意味 一年たったからこそなのかもしれんなぁ…」
がなきゃどうでもいいエピソードの一つとして数えられかねない。この「ある意味」が一体どういう意味なのか、と読者が考えることによって斑目が自覚してしまった想いが読者に伝わるのだ。
記憶が確かならば、斑目の咲に対する想いを「好き」であると表した文は一つもない。9巻53話「告白」においてさえ「言えなかった事」「余計な事」というモノローグがあるだけ。斑目によるモノローグだけでなく、想いに気づいている人間(咲以外の女性陣)でさえ「不発弾」「地雷」「この手の話」という表現にとどめているのだ。「好き」という表現を使わない理由は斑目の抱えるジレンマ―
成就不可能な恋への絶望と諦念、恐れ
(3次元に)恋をすることへの気恥ずかしさ
成就不可能である、ということへの安心
―という葛藤にある。
6巻32話「フタリノセカイ」における回転寿司屋での斑目と咲の会話においてそれが顕著だ。――げんしけんで一番読みにくいシーンじゃないかなと思うんだけど、直感で読めるんだよね。感情移入させる絶妙の「間」があるっていうか、斑目もあえてわかりにくいセリフ回しを使ってて、でもなんとなく伝わっちゃうそのわかりにくさが絶妙。読みにくさが演出になるすげえネームだと思った。それと同時に鬱に。――高坂と一緒にゲームをやったという咲にショックを受ける斑目。
問1、何故ショックを受けたのか。
答1、ゲームというオタクの土俵内で高坂と上手くいってしまっているということ。「いつまでたってもオタクになれない君なんかしょせん別の惑星の生き物じゃ」「高坂ともいずれ別れる」「わたしはオタクせいじん」ふざけながら言ってるけど、これが本心だったんだろう。別の惑星の生き物である咲とオタク星人の自分とではうまくいきっこない。だからこそあきらめがついたのだ。
問2、何故「春日部さんにはそうゆうのやってほしくなかった」のか。
答2、上記のあきらめがつかなくなるから。オタクと一般人という成就不可能な恋(斑目の中では)が「好き」という気持ちを押し止めていた。
問3、咲が「茨の道を歩」む(=オタク嫌い)ことで(恋心に)あきらめがつき、(高坂と咲を)許せるのは何故か。
答3、答1、2合わせて、どうせうまくいきっこない、という「ちょっとした希望」があったから。
問4、何故「これじゃ茨の道は俺の方だ」「むしろ針のむしろ」なのか。
答4、成就不可能な恋のハードルが下がった(咲のオタクに対する許容が増えた)ことにより、想いに希望が見えてしまった。が、むしろ「高坂ともいずれ別れる」という可能性が減ってしまうというアンビバレンツな出来事だから。
オタクという舞台装置が活きる、まさしくげんしけんならではのアイロニー。
とまぁすっかり斑目オンリーな話題になってしまったが、描写の不徹底=直接的な描写が圧倒的に少ないということはわかっていただけたかと。そもそも授業受けてるシーンとかほぼゼロだからね。学生なのに。4巻23話くらいしかないんじゃないか?そもそも何学部だとか全く出てこないし。
笹原と荻上がお互いを意識するまでも不透明ですね。なんかいつのまにか両想いになっちゃっててアレ?とか。ここも読み返さないとダメですかね。あー、ちなみに笹原ははっきりと「好き」という言葉を使いましたね。不完全なパーソナリティの代表格である高坂でさえ咲に対して「好き」という言葉を使った。
……って90分以上かけてこんな長文書いてしまった。感想っていうか考察だな。こんなことしてる場合じゃねえのに。
でもまあ読んでくれた方にはありがとさま。
というわけで斑目が卒業してからのいろいろもあるんだけどこの辺で。
なんかもう中盤以降は完全にラブコメなってたね。もちろんオタ要素はふんだんに盛り込まれてるわけだけど、描写のプライオリティを一段階落とされたっていうか舞台装置になりさがった。
オタネタ主体のストーリーマンガってすごく描きにくいだろうし、元々大学のオタクサークル内の話だからそういう扱いになるんだろう。
そういったある種の転換(したと俺が思ってるだけかも)もある意味面白いと思うけど、げんしけんの一番インタレスティング(敢えてこの言葉を用いる)なポイントは描写の不徹底とそれに起因する不完全なパーソナリティにあると感じた。
わかりやすい例を挙げるなら、斑目の秘めたる想い。これが読者にはっきり示されるのは3巻14話「インナースペース」なんだけど、はっきり言って「はっきり」なんかじゃない。
「ある意味 一年たったからこそなのかもしれんなぁ…」
がなきゃどうでもいいエピソードの一つとして数えられかねない。この「ある意味」が一体どういう意味なのか、と読者が考えることによって斑目が自覚してしまった想いが読者に伝わるのだ。
記憶が確かならば、斑目の咲に対する想いを「好き」であると表した文は一つもない。9巻53話「告白」においてさえ「言えなかった事」「余計な事」というモノローグがあるだけ。斑目によるモノローグだけでなく、想いに気づいている人間(咲以外の女性陣)でさえ「不発弾」「地雷」「この手の話」という表現にとどめているのだ。「好き」という表現を使わない理由は斑目の抱えるジレンマ―
成就不可能な恋への絶望と諦念、恐れ
(3次元に)恋をすることへの気恥ずかしさ
成就不可能である、ということへの安心
―という葛藤にある。
6巻32話「フタリノセカイ」における回転寿司屋での斑目と咲の会話においてそれが顕著だ。――げんしけんで一番読みにくいシーンじゃないかなと思うんだけど、直感で読めるんだよね。感情移入させる絶妙の「間」があるっていうか、斑目もあえてわかりにくいセリフ回しを使ってて、でもなんとなく伝わっちゃうそのわかりにくさが絶妙。読みにくさが演出になるすげえネームだと思った。それと同時に鬱に。――高坂と一緒にゲームをやったという咲にショックを受ける斑目。
問1、何故ショックを受けたのか。
答1、ゲームというオタクの土俵内で高坂と上手くいってしまっているということ。「いつまでたってもオタクになれない君なんかしょせん別の惑星の生き物じゃ」「高坂ともいずれ別れる」「わたしはオタクせいじん」ふざけながら言ってるけど、これが本心だったんだろう。別の惑星の生き物である咲とオタク星人の自分とではうまくいきっこない。だからこそあきらめがついたのだ。
問2、何故「春日部さんにはそうゆうのやってほしくなかった」のか。
答2、上記のあきらめがつかなくなるから。オタクと一般人という成就不可能な恋(斑目の中では)が「好き」という気持ちを押し止めていた。
問3、咲が「茨の道を歩」む(=オタク嫌い)ことで(恋心に)あきらめがつき、(高坂と咲を)許せるのは何故か。
答3、答1、2合わせて、どうせうまくいきっこない、という「ちょっとした希望」があったから。
問4、何故「これじゃ茨の道は俺の方だ」「むしろ針のむしろ」なのか。
答4、成就不可能な恋のハードルが下がった(咲のオタクに対する許容が増えた)ことにより、想いに希望が見えてしまった。が、むしろ「高坂ともいずれ別れる」という可能性が減ってしまうというアンビバレンツな出来事だから。
オタクという舞台装置が活きる、まさしくげんしけんならではのアイロニー。
とまぁすっかり斑目オンリーな話題になってしまったが、描写の不徹底=直接的な描写が圧倒的に少ないということはわかっていただけたかと。そもそも授業受けてるシーンとかほぼゼロだからね。学生なのに。4巻23話くらいしかないんじゃないか?そもそも何学部だとか全く出てこないし。
笹原と荻上がお互いを意識するまでも不透明ですね。なんかいつのまにか両想いになっちゃっててアレ?とか。ここも読み返さないとダメですかね。あー、ちなみに笹原ははっきりと「好き」という言葉を使いましたね。不完全なパーソナリティの代表格である高坂でさえ咲に対して「好き」という言葉を使った。
……って90分以上かけてこんな長文書いてしまった。感想っていうか考察だな。こんなことしてる場合じゃねえのに。
でもまあ読んでくれた方にはありがとさま。
というわけで斑目が卒業してからのいろいろもあるんだけどこの辺で。
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